幻の天才ジョッキー前田長吉、牝馬ダービー馬クリフジとの名コンビ

語られざる天才――前田長吉について

今回注目の内容は幻の天才ジョッキー前田長吉、牝馬ダービー馬クリフジとの名コンビです

平成には3人の「天才」と呼ぶにふさわしい人物が相次いで出現しました。

野球のイチロー、将棋の羽生善治、そして競馬の武豊。

彼らは若いうちから傑出した成績を残し、次々と従来の記録を塗り替えていきます。

武豊は、1987年 (昭和62年)にデビューすると1年目にいきなり69勝し新人記録を更新すると、2年目には菊花賞で優勝し史上最年少(19歳8か月)でのGⅠ制覇・クラシック制覇を達成します。

そして、3年目には有馬記念でオグリキャップの花道を飾り全国リーディングを獲得。

名実ともにNO.1ジョッキーになりました。

しかし、その武豊がなかなか手にすることができなかったのがダービージョッキーの称号です。

デビュー2年目の初騎乗以来、1997年まで9回挑戦しましたが戴冠はならず、1998年の10度目の挑戦でやっと栄冠を手にしました。

スペシャルウィークを駆りゴール板を先頭で駆け抜けた瞬間、普段は感情をあまり表に出さない武豊がガッツポーズを繰り返し喜びを露わにしました。
日本ダービーは、正式名称を「東京優駿」と言い、1932年に東京の目黒競馬場で第1回が行われて以来、2014年までで81回を数えます。

「ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になることより難しい」と言われるほど勝つのが難しいレースであり、馬主、生産者、調教師、騎手、すべての競馬関係者にとって喉から手が出るほど欲しい特別なタイトルです。

1993年に悲願のダービー制覇を果たす柴田政人は「ダービーを勝てたらやめてもいい」と言ったとされます。

それほどダービー(東京優駿)というレースは特別なものなのです。

では、このダービーを最年少で制したのは誰かご存じでしょうか?

実は、この日本ダービー(東京優駿)を20歳3か月という最年少で制した「天才」という称号に相応しいジョッキーがいます。

彼の名は前田長吉。忘れ去られていた幻の天才ジョッキーです。

20歳の青年がダービーを制したのは1943年。戦火が激しくなってきた頃でした。
前田長吉は、1923年に青森県三戸郡是川村(現在の八戸市)で生まれました。

農家の8人兄弟の四男(第七子)でした。

その後、地元の学校を卒業し1940年に北郷五郎厩舎に入門しますが、北郷がほどなくして亡くなったため1942年2月7日から尾形景造厩舎の見習い騎手となります。

そして、同年5月10日にジョッキーとして念願のデビューを果たすのです。

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念願のデビューをはたした前田長吉

は、デビュー戦を見事に勝利で飾りました。

その後も活躍し、1942年の成績は12回騎乗して5勝、2着2回と結果を残します。

そして、翌43年、偶然にも前田は1頭の牝馬(雌馬)に騎乗することとなるのです。

「クリフジ」と命名されていたその馬には、もともと兄弟子の八木沢勝美が騎乗する予定だったのですが、八木沢にはヨミノセンリというお手馬がいたため、急遽、前田が騎乗してデビューすることとなりました。

脚部不安でデビューが遅れていたクリフジでしたが、出走すると順調に2連勝し東京優駿(日本ダービー)へと駒を進めました。

東京優駿で、クリフジはスタートで出遅れてしまいますが、馬の力を信じていた前田は慌てませんでした。

終わってみれば2着に6馬身もの差をつけレコードタイムで圧勝。

前田は直線で全く他の馬の足音が聞こえなったので不安になり、何度も後ろを振り返ったほどでした。

ちなみに、牝馬によるダービー制覇は64年後にウオッカが成し遂げるまで達成されることはありませんでした。
その後も、前田長吉と名馬クリフジの快進撃は止まりません。

阪神優駿牝馬(オークス)では10馬身、京都農商省賞典四歳呼馬(菊花賞)では大差勝ちと他の馬に影をも踏ませない圧勝ぶりで変則のクラシック三冠を達成するのです。

クリフジが引退した後も、前田長吉は結果を残し続けます。

1944年の中山四歳牝馬特別(桜花賞)を制し、早くもクラシック4勝目を挙げると、東京優駿でも2着に入ります。

しかし、栄光の瞬間は長くは続きませんでした。

戦争の影が前田長吉にも忍び寄って来たのです。
1944年9月30日には、前田は見習い騎手から正規の騎手になります。

ですが、正規の騎手になってから、馬に騎乗することは一度もありませんでした。

10月14日には軍隊から招集命令が来て、満州の輜重(輸送)部隊に配属されることになったのです。

その後、ソ連のシベリア抑留に遭い、極寒のシベリアの収容所で強制労働に従事させれます。

過酷な状況に彼の小柄な体は悲鳴を上げ、ついには1946年2月25日、収容所で息を引き取ります。

23歳の誕生日を迎えたばかりでした。
戦後、彼の存在は忘れ去られていました。

そして、遺骨も戻って来ることはありませんでした。

しかし、2006年2月26日、シベリアの抑留所で見つかった遺骨がDNA鑑定の結果、前田長吉のものだと分かり、7月4日、幻の天才ジョッキーは60年ぶりに故郷へ戻ることとなったのです。

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