ロサンゼルス五輪競泳チームは11種目で12個のメダル獲得!

語られざる天才――ロサンゼルス五輪競泳チームについて

今回注目の内容はロサンゼルス五輪競泳チームは11種目で12個のメダル獲得!です

近年、オリンピックや世界選手権での日本競泳陣の活躍は目覚ましいものがあります。

2004年のアテネオリンピックでは、北島康介が100mと200mの平泳ぎで、柴田亜衣が800m自由形で金メダルを獲得し、総メダル数は、金メダル3つを含む8個、2008年の北京オリンピックでは北島康介が同2種目を連覇し、全体で5個のメダルを獲得。

2012年のロンドンオリンピックでは金メダルこそ獲得できませんでしたが、戦後最多の11個のメダルを獲得しました。

また、2013年の世界選手権では、萩野公介や瀬戸大也といった10代の選手が活躍し、日本競泳陣の前途が明るいことを印象づけました。

このように好成績を収めていますが、実はそれ以前は競泳陣は長期にわたって低迷していたのです。

1972年のミュンヘンオリンピックでは田口信教が100m平泳ぎで、1998年のソウルオリンピックでは鈴木大地が100m背泳ぎで、1992年のバルセロナオリンピックでは岩崎恭子200m平泳ぎで金メダルを獲得していますので、そのようなイメージはないかもしれませんが、1964年の東京オリンピック以降、1968年のメキシコシティオリンピック、1976年のモントリオールオリンピック、1984年のロサンゼルスオリンピック、1996年のアトランタオリンピックでは1つもメダルを獲得できていなかったのです。
ですが、長期の低迷に入る以前は間違いなく、競泳は日本のお家芸でした。

「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋廣之進を知っている人は多いのではないでしょうか?

1948年のロンドンオリンピックに出場できなかった日本は、1949年の全米選手権に選手団を送り、そこで世界記録を連発。

古橋は400m、800m、1500mの自由形で世界記録を大幅に更新します。

そして、世界記録を連発し活躍する古橋に、敗戦直後の苦しい時代にあった日本人は励まされたのでした。

こういった話は比較的よく語られているのではないかと思います。

しかし、日本の競泳陣が強かったのは戦後のこの時期だけではありません。

実のところ、戦前から日本は世界最強を誇っていたのです。

そして、そのもっとも輝かしい成果が現れたのが1932年にアメリカで行われたロサンゼルスオリンピックです。

このロサンゼルスオリンピックでは、日本競泳陣は未だに史上最多のとなっている12個のメダルを獲得し、そのうち金メダルの数は5個に上りました。
12個なら2012年のロンドンオリンピックでは11個獲得しているから大したことないのではと思う方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、実はこの12個という数字は11種目で12個という意味なのです。

ちなみに、2012年のロンドンオリンピックでの総種目数は34ですので、凄さが分かるのではないかと思います。

特に男子は6種目中5種目で金メダルを獲得しています。

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メダルの内訳を見てみましょう。

100m自由形では、宮崎康二が金、河石達吾が銀。

400m自由形は大横田勉が銅。1500m自由形では北村久寿雄が金、牧野正蔵が銀。100m背泳ぎは、清川正二、入江稔夫、河津憲太郎が表彰台を独占。

200m平泳ぎは鶴田義行、小池禮三が1・2着。

4×200mフリーリレーも宮崎康二、遊佐正憲、横山隆志、豊田久吉という布陣で制しています。

もはや男子でメダルを獲得したのはほとんどが日本人という状態になっていたのです。

ちなみに女子はやや寂しく200m平泳ぎの前畑秀子の銀メダルだけです。
1936年のベルリンオリンピックでも日本競泳陣は、金メダル4個を含む11個のメダルを獲得し、ライバルであったアメリカを圧倒しており、1930年代はまさに黄金時代だったのです。

ということですので、戦後になって突如として日本の競泳選手の中から古橋廣之進のような傑出した選手が生まれたのではなく、むしろ戦中から戦後にかけて日本の競泳は全く衰えていなかったということになります。

ですが、戦前の日本競泳陣が成し遂げた偉業は今ではほとんど語られることがありません。

語られるとすれば、ベルリンオリンピックでの前畑秀子の泳ぎに対してNHKのアナウンサー河西三省の「前畑ガンバレ!」という有名な実況くらいでしょうか。

100m自由形で銀メダルを獲得した河石達吾も悲しい運命を辿った忘れ去られたメダリストの1人です。

彼は陸軍中尉として硫黄島に配属され、1945年3月にあの硫黄島の戦いで戦死しています。

ですが、2006年に公開された映画『硫黄島からの手紙』の中では同じくロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト・バロン西こと西竹一は主要人物として描かれましたが、河石達吾には全く触れられませんでした。
現在の日本の競泳は復活したとはいえ、アメリカにはまだ遠く及びません。

しかしながら、現在の選手たちがアメリカを凌ぐ活躍をみせたときこそ、忘れ去られた偉大な記録が呼び起こされるときなのでしょう。

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