関孝和について!天才数学者とは?サラスの方法

関孝和について!天才数学者とは?サラスの方法

①語られざる天才――和算の大家関孝和(1)

「数学」という言葉を聞いただけで頭が痛くなる人は多いのではないでしょうか。

実をいうと、私も数学が大の苦手でそういったタイプの人間の一人ですが、今回は日本が生んだ天才数学者について話を致したいと思います。
数学者といえば天才というイメージに最もピッタリかもしれません。

例えば、古代ギリシアでは、ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスやユークリッド幾何学のエウクレイデス、近代になってからもガウス、デーキント、ポアンカレ、ゲーデル、ワイルズと名前を挙げればきりがありません。

日本人はというと、数学のノーベル賞ともいわれる「フィールズ賞」の受賞者の数は3人(小平邦彦、広中平祐、森重文)で、アメリカ、ロシア、イギリスに次いで4番目という実績を残しています。

ですが、関孝和は、「フィールズ賞」を受賞するような研究者ではありません。

というのも、関が誕生したのは1642年頃(寛永19年頃)といわれており、江戸時代の人物だからです(「フィールズ賞」の創設は1936年です)。
「江戸時代に数学?そろばんじゃなくて?」と疑問に思われるかもしれませんが、実は江戸時代は日本の数学(和算)が花開いた時代でもあったのです。

そのきっかけとなったのは、1627年(寛永4年)に京都の和算家・吉田光由が『塵劫記』という書物を刊行したことにあります。

『塵劫記』はそろばんの使用法や測量法といった実用的な書物でもあったのでベストセラーになりましたが、内容はあくまでも初歩的な教科書といったものでした。

ですが、吉田光由は1641年に改訂版の『新篇塵劫記』を刊行し、巻末に答えのない難しい問題を12題ほど掲載し「実力ありと思うものは、これを解いてみよ」と記載したのです。

いわば、他の数学者に対する挑戦状のようなものです。
この12題に対する解答をはじめて公開したのは榎並和澄という和算家で、『参両録』という書物に解答を掲載し、さらに自分が新たに作った答えのない問題を8題記載しました。

これ以後、ある和算家が答えのない問題(遺題)を他の和算家への挑戦として出し、他の和算家が解くという「遺題継承」が繰り返し行われるようになり、170年以上にわたって続きました。

関孝和が生まれたのは、先ほど述べた通り1642年頃だと言われていますから、まさに『新篇塵劫記』が刊行されたころでした。

このように江戸時代には、天才数学者が誕生する土壌が整備されていたのです。

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②語られざる天才――関孝和(2)

関孝和については生年も含めて若いころの記録がほとんど残っておらず、詳しいことは分かっていません。

生誕地についても藤岡(群馬県藤岡市)なのか江戸なのかはっきりしないのですが、それは孝和の生年の前後で父の内山永明が藤岡から江戸に移っているためです(ちなみに、父が「内山」という姓なのは、孝和が関家の養子になっているからです)。

孝和は、甲府藩の徳川綱重と綱豊(後の6代将軍・家宣)の2代に仕え、勘定吟味役を務めたそうです。
若くして『塵劫記』を独学した孝和は、和算の世界に身を投じていき、様々な成果を残すのですが、中でもよく知られているのが「行列式」についてでしょう。

例えば、
|12|
| |
|34|
という行列式は、
|12|
| |=1×4-2×3=-2
|34|
と計算できます。
この計算法は、「サラスの方法」と呼ばれており、左上から右下の順番に拾って掛けたものは+、右上から左下に順番に拾って掛けたものは-になるため、非常に簡単に+と-を判別できます。

なぜ「サラスの方法」と呼ばれるかといえば、サラスというフランスの数学者が考案したからなのですが、関孝和は、サラスよりも約150年早く同様の方法を生みだしていることが、『解伏題之法』という1683年に著された書物を見れば分かります。

どうやらヨーロッパでも行列式は関孝和とほぼ同時代にドイツのライプニッツが導入していたようなのですが、それを公表していませんでした。

しかも、内容的にもライプニッツのものは、ヨーロッパの数学とは全く独立して発展していた関孝和の研究と比べると見劣りするものだったようです。

後にヨーロッパで行列式が現れるのは1750年頃ですので、いかに和算家たちの方が先に進んでいたか分かるのではないでしょうか。
この他にも、点竄術、円周率の計算、導関数の計算と驚きべき業績を上げているのですが、何よりも関流の開祖として建部賢弘といった優れた弟子を育て、和算をさらに発展させたことにその最大の功績があるのでしょう。

明治時代になり、西洋の数学が導入されたのちは、和算が教育の場で教えられることはほとんどなくなってしまいましたが、彼が歴代の著名な数学者と並ぶ天才だったということは疑い得ません。

上毛カルタに詠われる「和算の大家 関孝和」。現代の日本人数学者の活躍は、和算の天才にその源流があるのです。

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