20世紀の日本の歩み 1 第一次世界大戦まで

20世紀の日本の歩み 1 第一次世界大戦まで

本稿では20世紀の世界の出来ごとを我が国と関連づけて振り返ってみます。

1. 導入

20世紀前半の大きな出来事は、第一次世界大戦と第二次世界大戦です。兵器の進歩によって戦争が大がかりになりました。機関銃、戦車、潜水艦、飛行機などのほか、海上では戦艦同士の戦いから空母同士の戦いに変化しました。空母同士の戦いではレーダーや暗号などか不可欠の技術になりました。

第二次世界大戦の最後には新型爆弾である原子爆弾が完成し、わが国はその最初の被害国になりました。

戦費が莫大となったことも大きな特徴です。第一次世界大戦の敗戦国・ドイツは膨大な戦後賠償が課せられ、その支払いの苦しみがヒットラーの台頭の遠因にもなりました。大きな戦争をするには厖大な戦費が必要です。逆の言い方をすれば、大きな戦争をすると膨大な戦費が使われます。軍需産業にとって大きな戦争は莫大な金額が動くビジネス機会であることを知る必要があります。

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2. 日露戦争

極東への進出を図る帝政ロシアと国防上それを危惧する日本が1904年から5年にかけて旅順港とその周辺の地で戦いました。大方の予想を反して日本の勝利で終わります。

ロシアの進出を喜ばない英国の支援、高橋是清による戦費調達では、日本国債の引き受けに便宜を図った米国のクーン・ロエブ商会のヤコブ・シフ(ユダヤ系)の助力があったことを知る日本人は少ないでしょう。

また、ロシアでは皇帝の専制政治を批判する勢力(労働者・農民・兵士)が台頭しデモが頻発して国内も一枚岩ではなかったのです。艦隊を黒海からアジア大陸東端まで遠く移動させるという不利もありました。

日本人の力だけで勝ったのではないことを肝に銘じねばなりません。講和会議で日本が得た南樺太はロシアにとって奪還の対象になりました。

3. 米国の連邦準備銀行の制度

1910年に銀行の銀行ともいうべき連邦準備銀行の構想がユダヤ系金融資本家の会合で話し合われたようです。その後、その有用性と必要性が宣伝され、共和党と民主党の共同提案の形で立法化されました。1913年のことです。連邦準備銀行は12の銀行の集合体の形になっていますが、ニューヨークにあるニューヨーク連邦準備銀行が中心的な役割を負っています。ロスチァイルド財閥はアメリカ独立戦争の頃から銀行券の発行権利を構想していたようです。

この制度が発足してからはドル紙幣の発行は連邦準備銀行が担うようになりました。故ケネディ大統領のようにこの制度の廃止を唱える大統領もいましたしが、制度は今日まで続いています。

わが国の日本銀行も政府直属の組織ではなく民間企業であり株式を上場している企業です。政府が株式の過半数を所有していますが、残余の株は民間の企業や個人が保有しています。

連邦準備銀行制度が発足した後に第一次世界大戦がはじまったことを関係づける見解もあるようです。

4. 第一次世界大戦

1914年から1918年にかけて主に欧州で戦われた戦争です。日本もアジア地域でドイツが権益を持つ地域に出兵しました。オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がボスニアの首都サラエボでセルビア人に暗殺された事件が契機になっています。オーストリア帝国はセルビアに宣戦布告をし、同盟関係にあるドイツも英仏をはじめ、ロシアに対して宣戦布告をします。

戦争の詳細は省きますが、ヒットラーも従軍して負傷し、後方の地で治療をうけます。前線でドイツ人が命がけの戦をしているのに、後方ではユダヤ人が活動していることに違和感をもったようです。ドイツの敗戦は直接の戦闘ではなく、内部分裂によるものとされます。敗戦によりドイツ皇帝もオーストリア皇帝も退位し、皇帝が統治する国は消滅しました。ポーランドとハンガリーは独立します。

1919年にパリのヴェルサイユ宮殿で講和会議で開催され、ドイツと連合国間で講和条約が結ばれました。この条約でドイツは連合国への莫大な賠償の支払いを課されます。日本は山東半島のドイツの権益を継承するほか、ドイツ領南洋諸島の委任統治権を獲得しました。

ドイツでは国民議会の選挙が行われ、ワイマール連合(社民党、中央党、民主党)はワイマール憲法を採択します。日本の現行憲法もワイマール憲法に似ているという見解もあります。

5. ロシア革命

ユーラシア大陸北部に位置し東西に広大な国土が広がるロシアは皇帝と貴族が支配する国でした。国内には純粋なロシア人のほか、多くの民族が混血して住んでいます。支配階級は権力を保持しているものの、産業革命の進展などで民主化や生活の向上を求めたデモやストライキが頻発するようになっていました。意図的に扇動する集団がいたかもしれません。立憲民主党、社会革命党、ロシア社会民主労働党などは当時の政党の代表的なものです。

ニコライ二世は国会の開設や憲法の制定などを約束しますが、1917年2月には行き詰まってしまい退位します。弟が継承者の受諾を拒否したため、ロマノフ朝はこの時点で断絶することになりました。代わってブルジョアジーを中心とする臨時政府がドイツとの戦争を含む内外の課題に当たりますが成功しませんでした。同年10月のクーデターでボリシェヴィキが権力を握り、世界初の共産主義国家が誕生します。その後の内乱に勝利を重ねてボリシェヴィキは権力を強化していきます。なお、ボリシェヴィキの指導者の多くはユダヤ系だとも言われています。

6. 共産主義とは

資本家に搾取されない社会、階級制度のない平等な社会などと言われると、苦しい生活をしている人ほど共感を覚えます。人種で差別され、生まれや育ちで差別され、資産の有無や多少で差別される社会で生きている人から見たら、理想的な社会のように感じられます。

ロシアのボリシェヴィキが主導するコミンテルンの活動を通して共産主義がフランス、イタリア、ドイツなどに拡散していきます。日本でも日本共産党が誕生し、コミンテルンの活動に関わります。共産党員ではないものの、戦中・戦後の日本の知識人の多くはマルクスが説く経済理論を深く理解する以前に、上のような甘い言葉に魅了されたのではないでしょうか。

ドイツやロシアにおける絶対王政の転覆を図る人々にユダヤ系が多いことを考えると、マルクスの理論とは経済理論の装いをしているものの、欧州諸国で長い間迫害され続けてきたユダヤ人の差別からの解放を意図した思想のように思われます。その主要な標的は絶対君主制の社会です。

絶対君主ではないのですが、日本の天皇制も君主という視点から標的になるわけです。日本共産党が天皇制に反対なのも同じ理由からです。天皇制を維持する人々にとって、ロシア革命と共産主義の欧州への浸透は看過できないものであったことが理解できます。

7. まとめ

20世紀前半の日本は、欧米から学ぶ段階から独自の工業国に向けて歩み始めた段階と言えます。古来より日本人がもつ長所は別として、欧米に学ぶべき面では目につく部分での進歩はあっても、他の多くの面で劣っていたと思われます。

欧州社会でのユダヤ人に関係する差別の問題、ユダヤ教とキリスト教の関係、金融を牛耳るユダヤ系資本の力などは十分には理解できなかったと思われます。

日本に関係する事がらはここに挙げた視点から理解する必要があるように思います。

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