プロ野球界の名コーチ高畠導宏氏から学ぶ知の野球とは?

プロ野球界の名コーチ高畠導宏氏から学ぶ知の野球とは?

プロ野球界には、かつて素晴らしい打撃コーチがいました。

高畠導宏(たかばたけ みちひろ)氏です。

南海ホークスに入団した当初に起こした左肩の脱臼が慢性化し、不本意な5年間の現役生活を過ごしたのですが、野村監督(当時)に創意工夫の才と人柄のよさを見込まれて28才で打撃コーチに就任します。

以後30年間もの間、招聘された幾つかの球団で多数の選手を育てました。

惜しくも2003年にすい臓がんで亡くなりました。

氏の最後の試みは高校球児を指導して甲子園に連れて行くことでしたが、試みの半ばで不帰の人となりました。

高畠氏は滅多にない稀有な人材ですが、資質の高い指導者の発掘や育成について球界の指導者は考えるべきです。

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1. 巨人の投手起用に疑問詞

下位に低迷していた巨人も最近は打撃陣が活性化し、打順も固定して来ました。

ほとんどがベテランなので疲労が懸念されますが、今年はこの布陣で戦うしかありません。

暴言のようですが巨人の若手野手には肉体的な迫力がありません。

広島カープの野手と比較すると一目瞭然です。腕は丸太棒、胸板は厚く粒々とし、臀部に安定感があり、太腿がはち切れるような野手が巨人にいるでしょうか。

菜食主義者か役者を目指す人たちみたいです。

打撃陣はベテランが多いものの当面は戦える布陣になりましたが、投手起用には疑問を感じます。

その時に大切なことは何なのかが分かってないように思えます。

素人のこのような物言いは不適切かもしれませんが、試合の展開のさせ方を事業経営と見なせば、経営の視点からの判断もピント外れではないかもしれません。

投手交代は監督が主審に告げますから、誰が進言や提言をしたとしても最終的には監督の決定であり責任となります。

また、投手コーチの意見も聞かずに誰と交代させるかを決めることもないでしょう。

場合1.  菅野投手の完投の機会を奪う

菅野投手が完投する機会を奪い、9回に外国人投手に交代させた試合がありました。

8回終了まで菅野投手が投げ終わり大差で勝っていた試合でした。

交代する理由は幾つも挙げられるでしょう。

しかし私は完投させるべきだと思いました。

この試合で菅野投手が完投すれば、本人はもちろん、チーム全体も、そしてファンも、「やったぜ」と叫びたくなる感動を与える効果があったからです。

野球は数学の計算ように手順通りに進めるだけではありません。

随所に高度な思考が組み込まれるべきなのです。

場合2. 若手投手の救援起用

7月3日の中日戦は久しぶりに内海投手が先発しましたが、引き継いだ若手投手が打たれて惜敗しました。

勝率5割に達するためには負けられぬ試合だったはずです。

低迷する内海投手も勝ち星がつけばどれだけ自信になったでしょう。

そのような事情があるのに、なぜ若手投手に投げさせたのでしょう。

内海投手に自信をつけさせるには、この試合で勝ち投手にさせねばなりません。

安心して任せられるベテラン投手に交代すべきだったし、そのような投手がいないなら、いつでも交代できる体勢で内海投手の続投も考えられます。

場合3. 外国人投手の救援起用

7月4日の中日戦も惜敗しました。

先発は安定した投球の高木投手でしたし、打撃陣もこの日は好調でした。

しかし2人の外国人の中継ぎと抑えの投手で負けました。

救援投手や抑えの投手はどのような能力が必要なのでしょう。

中継ぎと抑え役では必要な能力は異なるでしょうが、巨人には投手の育成や起用に関し、「知」が欠けているような気がします。

微妙な試合展開の場合に外国人救援投手で大丈夫でしょうか。

圧倒的な力があれば別ですが、そうでない場合は対峙する相手打者の特徴を考えに入れた投球が必要だと思います。

2. 名打撃コーチの紹介

作家 門田隆将(かどた たかまさ)氏の著作に「甲子園への遺言」があります。

プロ野球で名コーチと言われた高畠 導宏(たかばたけ みちひろ)氏の野球人生を描いています。

違和感 4 スポーツ選手の賭博関与

2.1  社会人野球で大活躍

高畑氏は昭和42年に中大を卒業すると、巨人の指名を蹴って社会人野球の日鉱日立に入ります。

当時の社会人野球では、選抜社会人野球大会、都市対抗野球大会、日本産業対抗野球という三つの全国大会がありました。

高畑はこの年これらの全国大会に出場し、44打数17安打、打率3割8分6厘、4本塁打、1三塁打、7二塁打の成績を残しています。

17安打中12本が長打という驚異の成績です。

この年には高畠の活躍もあって日鉱日立は選抜社会人野球大会において悲願の初優勝を果たすのです。

この年には第7回アジア野球選手権大会があり、日本は6戦全勝で優勝しましたが、高畠も日本チームのメンバーとして出場し、21打数7安打の成績を残しています。

このチームには田淵幸一(法大から阪神)、高田繁(明大から巨人)、矢沢健一(早大から中日)、中塚政幸(中大から大洋)など後にプロ野球で活躍した選手がいました。

2.2  プロ入り

翌昭和43年には社会人野球の強打者としての実績をさげ、名将鶴岡一人監督の率いるプロ球団南海ホークスに入団しました。

新人王確実の左の強打者として期待された入団でしたが、不幸に見舞われます。

春季キャンプの滑り込みの練習で左肩を脱臼してしまったのです。

脱臼癖のついた肩では投球はもちろん、肩をかばうために以前の打撃ができません。

2年後の昭和45年からは野村監督の勧めで代打専門要員となり、3年後の昭和48年からは20才代の若さで打撃コーチに転向します。

1は氏の経歴の概要です。

表1 高畠道宏氏の経歴

時期 所属 説明
1959-1961 3 岡山南高校 1年次生から公式試合に出場
1962-1962 1 丸善石油 愛媛県松山市 休部となる。
1963-1966 4 中央大学 中大野球部の全盛期に活躍。
1967-1967 1 日鉱日立 茨城県日立市 3大全国大会に出場し活躍。
1968-1969 2 南海ホークス 春季キャンプで左肩脱臼
1970-1972 3 野村監督が代打専門にする。
1973-2002 30 南海ホークスほか6球団 打撃コーチ
2003-2004 1.5 私立社会科教諭 肝臓がんで死去

2.3  打撃の特徴

中学・高校時代にバットの素振りを徹底的にした賜物でしょうか。

身長は大きくはないのですが、太い腕、逞しい胸囲、太い腿の持ち主でした。

バットを構える姿勢が安定しており、どんな球を投げられても体がぶれてしまうことはなかったようです。

3.  打撃コーチの人生

南海入団当時、後年の野村監督は捕手で4番打者で、打撃コーチでもありました。

社会人野球の強打者が入団して来たということで、高畠の打撃フォームには関心をもっていたようです。

後に監督になると、脱臼に苦しむ高畠を代打専門要員にすることで打力を活かすことを試みます。

さらには現役での活躍を諦めて打撃コーチとして活躍することを勧めます。

高畠氏の工夫と豊かな発想力を以前から高く買っていたようです。

3.1  30年に及ぶ打撃コーチの経歴

表2にはコーチを務めた球団を時系列的にまとめました。

備考欄には指導を受けた代表的な選手を書きました。

南海ホークスでの5年を皮切りに、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、中日、オリックスなどで打撃コーチに招聘されます。

南海ホークスの内紛で野村監督と共に移ったロッテでは12年もの間コーチを務めて多数の選手を育てました。

この間にはなんと7回もロッテの選手が首位打者のタイトルを獲得しているのです。

プロ野球のコーチの任期は何年くらいでしょうか。

監督の交代でコーチも代わる場合もあり、変わらない場合もあります。

同一監督の下でもコーチを入れ替える場合もあるでしょう。

したがって任期は多様でしょう。

複数の球団で30年間も打撃コーチをした高畠氏の場合は異例と言えるでしょう。

古巣のロッテに戻ってのコーチを1年で辞し、翌年には59才で私立筑紫台高校の社会科教師になります。

教員免状を得るため、コーチ業をしながら5年をかけて日大通信教育学部で学んでいます。

残りの人生を高校野球の指導者として生きる道を選択したのです。

プロ野球関係者が高校野球の指導者になるための空白期間中にすい臓がんで命を失います。

夏の高校野球地方大会から学ぶ

表2 打撃コーチとしての輝かしい経歴

期間 所属チーム 備考
1973-1977 5 南海ホークス

内紛で野村監督とロッテに移る。

28才の打撃コーチの誕生。

入団5年目の藤原にすりこぎバットでの打法を指導。

1978-1989 12 ロッテオリオンズ 水上、高沢、西村、袴田、落合など。
1990-1990 1 野村監督に招かれてヤクルト球団に移りますが監督と合わず1年で退団します。

長嶋監督から招へいされたがダイエーホークス行きが決まっていたため、巨人のコーチは幻となりました。

飯田を見出す。

初の3人の3割打者の誕生。

(廣澤、池山、角)

1991-1994 4 ダイエーホークス 小久保
1995-1998 4 中日ドラゴンズ
1999-2001 3 オリックスブルーウェーブ 田口(壮)、アリアス
2002-2002 1 千葉ロッテ 福浦、サブロー
コーチ歴 30
2003-2004 1.5 私立筑紫台高校社会科教諭 肝臓がんで死去。

3.2  高畑打撃コーチの特徴

誰にでも同じことを同じように教える教科書的コーチでないことは明らかです。

その選手に応じた指導をするのです。

以下は主要なものです。

  • 面倒見がよく、努力する人を大切にした。
  • 自分の野球理論は押しつけない。
  • 投手の癖を読んで球種を予測する知的な打撃を教える。
  • データを重視する打撃を指導する。
  • 意図的にファウルを打てる練習をして打つ機会を伸ばす。

4.  野球の仕方3態

以下のように肉体を強調するパワー野球と、頭とデータを使った頭脳野球とに分かれます。高畠氏は頭脳野球の人でした。

4.1  パワー野球

力だけの野球とは、投手は豪速球を投げ、打者はバット力任せに振り回し、守備陣は打球に飛びついて捕球し素早く他の野手に投球するようなプレーが展開する野球です。

動作は豪快で、力に溢れているため、観るのには楽しい野球です。

4.2  データ野球

全ての面で頭とデータを使った野球をします。

様々な視点からデータを収集し、分析します。

元南海のブレザーヘッドコーチのデータ野球、野村監督のデータ野球などがその例です。

  • 投手の様々な癖から球種や牽制球を推定します。
  • 投手の配球から次の球を推定します。
  • 打者の打ち方を探ります。例えば1球目から好球必打の打者と、1球目は必ず見送る打者などをデータを収集することによって見分けます。
  • 相手チームのサインを解読します。味方のサインを相手チームに見破られないようにします。

4.3  緻密野球

V9を達成した川上哲治監督の下で智将牧野コーチにより展開された戦法です。

攻守の様々な場面において選手がなすべき行動は決まっています。

選手はそれが確実にできるように練習をします。

以下はその例です。

  • 三塁走者がいれば、スクイズバントで確実に1点を取ります。
  • 一塁走者が出たら、確実なバントで走者を二塁に進めます。
  • 打席に立ったら1球目は様子を見ます。
  • 長距離打者の前に走者を出すようにします。

5.  まとめ

本稿では門田隆将の著書を参考にし、名打撃コーチと言われた高畠導宏氏の事績の一端を紹介しました。

氏は30年の長きにわたって打撃コーチとして多くの打者を育てました。

氏は選手の個性を重んじ、その選手に適した打法を選手と一体になって体得させました。

教え方も徹底しており、途中で投げ出すようなことはありませんでした。

本稿の前半では読売巨人軍の投手起用に疑問を呈しました。

投手起用のまずさで負けた試合がいくつもあります。

完投させるべきなのに9回から投手を交代した試合もあります。

完投することで意気が上がる効果を狙うべきだったと思うからです。

V9の頃の川上巨人軍の試合は勝利を追及するために面白くないとも言われました。

しかし、川上監督と智将牧野コーチのもとで、森捕手、広岡達郎内野手などが関与して緻密な野球を磨きあげました。

今の巨人軍の野球には「緻密さ」どころか、「知」も感じられません。

高畑コーチは、「投げられた球を打つための知」を、訓練の積み重ねによって行動で示せる選手を育てたコーチと私は考えます。

打者のバッターボックス内での様々な行動に「知」を取り込むことの大切さを考えて本稿をまとめた次第です。

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