中嶋博行著 小説「司法戦争」から学ぶ

  • 企業経営、経済、金融・証券・保険、警察・検察・司法・法律などの分野は、専門書は分野ごとに分かれているため、短期間に全体像をつかむのは困難です。小説は分野をまたいだ具体的な事がらを扱いますので、全体の関係を把握するには都合のよい教科書になります。難解であっても何回か繰り返して読めば分かってきます。
  • 専門的な事がらを調べる前段階では小説などから学ぶことも役立ちます。
  • 本稿では、1998年に初版が発行された中嶋博行氏の「司法戦争」から、最高裁と検察庁と警察庁の関係、司法が抱える問題、米国の陪審員裁判制度の負の部分などを学んでみましょう。

1.  はじめに

著者の中嶋博行氏は早稲田大学法学部出身の現役の弁護士です。古書店で何げなく手に取って買い求めたこの「司法戦争」は、1998年夏に講談社から出版されたものです。随所に最高裁の組織の説明や司法が抱える問題などが説明されていて学ぶことの多い本です。検察と警察と最高裁の間の対立と協調の微妙な関係なども描かれています。

2.  小説の概要

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2.1  導入部 無謀運転者が勝訴し、車メーカが莫大な懲罰金を支払う米国の陪審裁判制度

  • 物語は米国フロリダ半島西海岸にあるウイングビーチ市にある州上級裁判所での裁判からはじまります。日本製のRV車で暴走していた白人の少年が事故死した事件です。
  • 市警察は乱暴運転による事故死として処理したのですが、経路は不明ですが、事故の調査資料が米国の代表的な法律事務所(およそ1,000名の弁護士を擁する)にわたり、そこの専門部門が資料を詳細に調べた結果、少年の両親を原告とする日本メーカを相手にして訴訟を起こしたのです。
  • 日本メーカは和解に応じなかったため、裁判が行われることになります。弁護士事務所は、シートベルトを車体に固定するボルトが折れ曲がって取り付け部から外れている写真を見て、訴訟に勝てると判断したのです。専門の業者に依頼し、衝撃でくだんのボルトの折損があり得ることを実験してもらっています。実際には折損に至る実験結果はなかったようです。
  • 米国は陪審員制度をとっています。しかし陪審員は法の専門家ではないし、自動車の構造や運転技術の専門家ではありません。
  • 陪審員団は日本メーカの落ち度を認め、少年の両親への500万ドルの賠償金を支払いのほか、懲罰的な意味で9,500万ドルという莫大な支払いを評決します。

著者はこの導入部で、米国の陪審員制度への疑問と、米国の弁護士事務所のお金に飢えた活動の恐ろしさを伝えたかったのでしょうか。なお、日本では懲罰的損害賠償は禁じられています。

2.2  物語のあらすじ

  • この本では米国勤務の間に最愛の妻子を若者の無謀運転で失った法務官僚の秋月裕二が起こした最高裁判事の殺人を扱っています。
  • 信号を無視して交差点に入った若者の車が歩道を横断中の彼の妻と娘をひき殺します。しかし、この事件の裁判では、交差点にブレーキ痕がないことから、歩行者が信号を無視して横断歩道を渡っていたのだとする被告弁護士の悪辣な主張を陪審員が認めたため若者は無罪になります。
  • 製品の欠陥を過剰に追及して日本企業を敗訴に追い込み、莫大な賠償金を課す米国流の陪審員裁判なども目撃し、無知の市井人を陪審員にして刑を判断させる米国流の陪審員裁判制度に疑問を感じます。
  • 陪審員は選挙人登録していれば誰でもなれます。彼らには裁判や法律の知識がないだけでなく、個々の事件に関係する専門的な知識もありません。そのうえ、欲に駆られた弁護士の甘言にのせられるほか、買収されることもあり得ます。
  • 帰国した彼は法務省司法統括局次長のポストに就き、温和な局長を押しのけて局を仕切っています。
  • 米国での経験から、日本に米国流陪審員裁判を導入してはならないと考えていますが、ある最高裁判事が陪審員制度を導入しようとして動いていることを知ります。
  • その判事が米軍統治時代に行われた陪審員裁判の調査のために沖縄に行くことを知ります。意のままに動く殺し屋を伴い沖縄に向かい、ホテルから判事を浜辺に呼び出して殺害します。飛行機には偽名で搭乗したので身元が割れることはありません。
  • 殺害された判事は横浜にある弁護士事務所の出身でした。
  • 通報で現地の二名の警察官が死体の検証にいきます。その後、沖縄県警の名誉のため必死の捜査がなされますが、さっぱり手がかりがつかめません。
  • 警視庁から派遣された刑事たちも同様です。つかめたことは、被害者はホテルに着くと東京に電話をしたこと、その後で外から電話があって出て行ったということだけです。
  • 最高裁判事の殺害は前代未聞の事件です。警察はもちろん、検察、最高裁、法務省、内閣官房などが極秘に事件の調査を始めますが、殺人の動機や犯人の糸口すら掴めないまま経過します。吹き出るのは、最高裁、検察、警察、内閣官房、法務省などの相互不信です。
  • 小説では、このあと横浜の弁護士事務所の女性弁護士が自宅で斬殺され、弁護士事務所が強力な爆弾で爆破され、米国の弁護士を含めて16名の弁護士が爆死します。神奈川県警は総力をあげて捜査することを宣言しますが、事件の動機も犯人像も皆目わかりません。

2.3  物語の展開

  • 小説の主人公は東京地検から最高裁に交流人事で派遣され、最高裁調査員をしている女性判事です。
  • 最高裁判事が沖縄で殺害された事件が最高裁内部の権力争いによるものとみた元の上司(東京地検の)から、事件を内々に調べるよう指示されます。不本意ながらも彼女の調査が始まります。
  • 陪審員裁判制度の導入計画は、最高裁の極秘事項で進められていました。
  • 最後には最高裁長官が密かにすすめてきた陪審制の復活計画に気づきます。
  • 彼女はそれを確認するため長官に面会を求めます。意外なことに、そこに法務官僚の秋月がいます。さらに追いかけるように入って来た殺し屋が彼女を撃とうとするのですが、彼女を守ろうとして最高裁の長官が殺害されてしまいます。

3.  小説から得た知識

ここでは小説から筆者流に学んだ主な事項をまとめます。

3.1  最高裁の二つの顔

  • 一方の顔は、事件に関する最終的な法律的判断をする場であることです。
  • 他方の顔は、裁判行政の大元締めであることです。
    • 全国の裁判所の運営
    • 判事・判事補などの全裁判官の人事管理(採用・転勤、昇進など)
    • 予算の作成と予算の執行
    • 検察・弁護士会・裁判所間の三者協議
    • 国会との調整

3.2  最高裁で結審するまでの長丁場

一審の判決が出て上告し、二審の判決が出て不服なら最高裁に上告します。

上告書をまとめる弁護士もそれ迄の下級審の判決が不当である旨の論拠を示した文書をまとめるために時間がかかります。もちろん、

3.3 違憲立法審査権

最高裁がもつこの審査権は絶大です。どのような事情や背景や経緯で成立した法律でも、違憲と判断されれば無効となるのです。

3.4 最高裁判事

  • 最高裁には長官を含む15名の判事がいます。長官は内閣の指名に基づき、天皇が任命し、他の判事は内閣が任命し天皇が認証します。ただし判事の身分は保障されており、天皇、内閣、最高裁長官が罷免することはできません。
  • 出身は裁判官だけではなく、弁護士出身の判事、検事出身の判事もいます。現在は、裁判官枠6、弁護士枠4、検事枠2、大学などの法学者枠1、行政官枠2で落ち着いているようです。
  • 定年は70才です。
  • 判事になると最初の衆議院選挙の際に国民審査を受けます。

3.5 最高裁の調査員

  • 最高裁判事を補佐するのが調査員です。事務官ではありません。れっきとした判事の資格をもつ専門家です。最高裁判事は裁判の専門家とは限りませんので、優秀な調査員の支援が必要になります。
  • 調査員の主な仕事は上告された訴状を調べ、却下すべきか否かを判断し、上司の判事に書類で報告します。最高裁の法廷で意見も述べることもできます。実質的な裁判官であるとも言われます。
  • 1人の調査員が抱える訴状は300件から400件にも及ぶと言われます。

3.6  裁判官の超過重な負荷

  • 最高裁から下級裁判所に至るまで、裁判官は膨大な訴訟案件を抱えています。裁判官の数に比べて訴状の件数が多いことのほか、判決文を書くことも大変な負担のようです。
  • 望ましいことではありませんが、和解して告訴が取り下げられることを歓迎したくなるほど、どの裁判所も訴訟案件が山積しているようです。

3.7  米国の法律事務所

  • 米国は訴訟社会です。弁護士は大きな報酬が得られそうな訴訟の種を探し、原告を巧みに誘導して裁判に持ち込み、勝訴して多額の報酬を得ます。日本の法律事務所の規模を遥かに超え、弁護士を何百名も抱える大きな会社となって活動します。
  • ターゲットの一つは製造業です。製造物に関係する人身事故が起きると、製品の瑕疵を追及して多額の賠償金を勝ち取ります。日本メーカの製品も同様に訴訟の対象となります。
  • このような活動をする弁護士の会社の日本法人が出来て日本で活動を始めたら、日本社会はどうなるでしょう。これに陪審員制度が組み合わされると、日本の社会はどう壊れていくでしょうか。

3.8  CIAの行動対象の変化

東西の冷戦が終わりCIAの役目も変わっているようです。標的は経済に大きく影響しそうな新技術の秘密裏の取得のようです。

3.9  戦前にもあった陪審員裁判

我が国でも陪審員裁判がおこなわれていましたが、大東亜戦争が激しくなると共に中断されたようです。いずれ、世の中が落ち着いてきたら再開すべきことが記録に残されているそうです。

4.  関連する事がら

「司法戦争」から学んだ所要な事項をまとめました。

4.1  裁判所・検察・警察の関係

図1に警察と検察と裁判所の関係を示します。

  • 都道府県の公安委員会の管理下にある地方警察は犯罪を取り締まると共に、事件の犯人を逮捕し、作成した調書を検察庁に送付します。
  • 検察庁は調書に基づいて事件を吟味し起訴の要否を判定します。なお、検察庁は法務省に属する機関です。
  • 裁判所は起訴された被告人の犯罪について、検察官と弁護人の陳述や、証人の証言などを法廷で聞き、有罪か無罪かを判定すると共に量刑を決定します。その決定は最終的な判断です。
  • 図1の赤色の線は最高裁判事になり得る分野を示しています。判事は裁判官出身者だけではないのです。

図1. 警察・検察・裁判所

4.2  最高裁の組織

最高裁判所はぽつんと最高裁判所という裁判所があるのではありません。法による裁きの最後判断という責務を果たすに必要な組織が整っていなければなりませんが、全国に分布する裁判所のハードウェアと裁判官の人事管理をしなければなりません。

  • 最高裁判所の裁判部門の組織を2に示します。
  • 最高裁は長官を含めて15名の判事からなります。
  • 最高裁では問題を広く検討する必要から、多様な出身母体から判事を集めています。
  • 法廷は憲法など重要な判断をする大法廷のほか、第一小法廷、第二小法廷、第三小法廷があります。
  • 最高裁判事には調査官がついています。調査官も裁判官の資格をもっています。

図2. 最高裁裁判部門

 全国の高等裁判所から上告される案件は年に6,000件にも及ぶと「司法戦争」には書かれています。この数を単純に28名の調査官に均等に割り当てると、一人当たり200件になります。休日を省くと一日に一件の割合で上告書を処理し終わらねばならない勘定になります。一審、二審と積み重なった裁判記録は膨大ですから、読むだけでも一日で終えるのは困難です。各調査員の周りは未処理の上告書の山積みになります。

  • 判事と調査員の数を倍増しても根本的な解決にはならないでしょう。

4.3  最高裁の管理機構

  • 最高裁の管理機構を3に示します。最大の組織は事務総局です。事務総長をトップとして、10におよぶ局や課があります。
  • 事務総局の総長はもちろん、各部局の局長や課長などの幹部はすべて裁判官が占めています。このポストに定年まで留まることはなく、最高裁判事のほか全国の裁判所に異動します。

図3 最高裁管理部門

5. まとめ

約二十年前に講談社から出版された中嶋博行氏の著書「司法戦争」を読んで得た司法に関する知識をまとめてみました。読者の参考になれば幸いです。

  • 裁判所の乏しい予算
    • 立法・司法・行政が独立している建前から、裁判所の予算は最高裁で作成し、財務省と交渉するのでしょう。しかし、内閣、国会議員、国民名とで裁判所の裁判や運営などに興味をもつ人は限られます。
  • 陪審員裁判制度の是非
    • 現在の「裁判員制度」は小泉首相の頃に検討され始めたようです。郵貯民営化の場合と同じく、米国からの働きかけがあったのかもしれません。私見ですが日本になじむ制度とは思えません。司法改革の本丸は別のところにありそうです。
    • 弁護士が過度に報酬を得ようとする風潮も問題と思います。
    • 「司法戦争」では、最高裁長官が少数の判事と事務総長とで密かにすすめようとしたのが陪審員裁判の復活でした。裁判官の過酷な仕事を減らすことを主要な目的としたものです。民間人の裁判員は長丁場になる裁判は担えませんので、裁判が短期間に結審する効果もあると思いますが、裁判の質が落ちる心配はあります。

追記

小説の中での最高裁長官の思いは、全国の裁判官が抱えている殺人的な仕事量を軽減することでした。

安倍内閣の下で残業規制などの法案が審議されていますが、小説の中だけではなく、現実の司法の場の過労問題の対策は今も政治の対象になってないようです。

外国人旅行者が増えれば、彼らが関係する事件が増えます。外国人労働者が増えれば、彼らに関係する事件も増えます。検察と裁判所の定員を増やし、予算も増やすなどの措置がとりあえずの手段として必要になります。刑務所の収容定員も問題になります。

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