原発事故から回復中の福島県の現状 まず被害の全容をふりかえる

原発事故から回復中の福島県の現状 まず被害の全容をふりかえる

  • 2018年3月11日で東電福島第一原発のメルトダウンに伴う水素爆発事故から7年もの歳月が過ぎました。多くの国民の関心は薄れているでしょうが、まだ終わりは全然見えていないのです。
  • 原発から70kmも離れた郡山市にある私の家でも、庭に埋めて暫定的に保管されていた放射能汚染の表土が数日前に市の一時保管所に移されたばかりです。そこから国の中間貯蔵施設に移されるのはいつになるのでしょう。
  • 原発のある双葉町と大熊町では全町民が離れた地で避難生活を続けていますし、その周辺の町村の住民の多くも避難生活を続けています。
  • これらの地区で昔の生活が戻るのに、あと何年かかるかは誰も分かりません。
  • また、緊急避難の途中で、あるいは体育館や講堂などの粗悪な避難所での避難生活の途中で亡くなった高齢者の方々は全く気の毒です。
  • 当然のことですが原発の廃炉工程の進捗も遅々たるものです。まだ、溶けた燃料がどこでどのようになっているかさえ完全には把握されていません。
  • それにつけても、歴代の何人かの復興大臣がした地元住民を思わぬ言動にはあきれるばかりです。

1.  7年前の原発事故を振り返る

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1.1  東日本大震災における福島県の被害の特徴

  • 東日本大震災の原因となった地震と、地震に誘発された大津波で、太平洋沿岸の岩手・宮城・福島の3県では多数の人命が失われました。警察庁のまとめでは、死者15,895人、行方不明者2,539人です。
  • 人命だけではありません。鉄道、道路、人家、事業用建物、港湾、防波堤、水道や配電設備、田畑などの耕作地、各種生産設備などが破壊されました。
  • 地域全体が被害に遭ったのですから、地震と津波の被害に限れば、海岸線が入り組んだ岩手県や宮城県の津波の被害は大きいとしても、福島県も似た状況にあります。

1.2  原子力発電所の水素爆発事故

ご存知のように福島県の場合は<東京電力福島第1原発の(地震と津波による)原子炉の水素爆発の被害が重くのしかかっています。

1.2.1  水素爆発

図1に1号機から6号機までの原発の配置を示しました。

  • 3月12日15時36分に1号機が水素爆発を起こしたのに続き、3月14日11時1分に3号機も水素爆発をおこしました。
  • 原子炉を停止させ保守作業中だった4号機までもが3月15日の朝6時頃に水素爆発を起こします。実は3号機と4号機の排気塔は共有されていただけでなく、4号機側には逆流防止装置もついていませんでした。3号機のメルトダウンで発生した水素がベントの際に配管を通じて4号機に流れ込んだのが原因のようです。
  • 2号機は水素爆発を起こしませんでした。建屋上部のブローアウトパネルが1号機の爆発時に吹き飛んだのが水素爆発を免れた理由のようです。

図1.  福島第一原発

  • 爆発時に放射性物質を含んだ海風は北西方向に移動し、2に示すように数十キロメートルも離れた伊達市、福島市、二本松市、本宮市、郡山市など中通り地方に飛来しました。

図2.  放射性物質を含む風の流れ

  • 図2の丸印で示した原発周辺地域には放射性物質が風向きには関係なく飛散します。

1.2.2  緊急避難

  • 原発周辺の地域には人は住めません。餌をくれる人がいなくなるので、馬・牛・豚・鶏などの家畜は生き続けるのは困難です。野生動物の場合は食べ物の心配はないでしょうが、放射線の影響については不明です。イノシシなどは繁殖しているようなので、放射能の影響で死んだ例はないか、あっても稀かもしれません。
  • 放射能で汚染された地域には住み続けることはできません。原発のある双葉町や大熊町はもちろん、原発の半径20km以内の住民は自治体の指示で避難します。
  • どこに避難するのでしょう。受け入れ先の自治体は宿を準備できるのでしょうか。乳飲み子や幼児、病人や老人を抱えた家庭の避難はどうするのでしょう。移動中のトイレの使用なども簡単ではありません。
  • 入院患者のいる病院、老人の介護施設などはどのように、そしてどこに避難するのでしょう。これらの施設の従業員は入院患者や老人を捨てて家族と避難できるでしょうか。残された入院患者や老人はどうするのでしょう。

1.3  緊急避難の難しさ

津波が押し寄せてきたら高所に逃げるしか助かる方法はありません。津波は水の力で人間を含むあらゆるものを破壊し、元いた場所から別の場所へと動かし、最後に海に戻るときにあらゆる物を道連れにしようとします。

  • 原子炉の爆発事故でも、津波と同様に逃げる以外に方法がありません。しかし、津波の場合とは違い、どちらに向かって逃げるかは一律ではありません。原発は海辺にあるので、原発直近にいる人は今いる場所からできるだけ離れることです。原発からやや離れた地にいる人たちは、風向きなどを考え、逃げる方角を間違えないようにしなければなりません。
  • 逃げ遅れたら、放射性物質が体に付着するだけでなく、体内にも入ってきます。除去しない限り、遺伝子に影響を与え続けます。
  • 爆発が原発内にとどまるなら、発電所内の人間だけが汚染の対象になりますが、放射性物質が外部に放出されたら、付近の住民は待ったなしで逃げなければなりません。その程度は爆発の規模によります。
  • 住民を短時間に安全な場所に移動させることは至難の業ですが、対応は急を要します。
    • バスなどの移動手段の確保
    • 道路の渋滞
    • 自力で歩くのが困難な病人や老人や乳幼児の保護
    • 現金や預金通帳やや貴重品の処置
    • 業として飼育している牛馬や鶏などの処置、
  • 普段は家族を単位に生活していますが、原発事故が発生したらそのような行動は不可能です。家族はバラバラで避難しなければなりません。
  • 地震に伴う原子炉の爆発はさらに困難が加わります。道路の破壊、火災、津波による建造物の破壊が避難を困難にさせるからです。

1.4  避難所

避難して来た人々の衣食住を考えねばなりません。

1.4.1  原発事故による避難の特徴

  • 豪雨による水害などの場合と異なり避難は長期にわたります。
  • 水害の多くは局地的ですが、原発事故による避難は広域的です。避難者の数は多いのです。

1.4.2  住

  • 住む場所として使えるのは、体育館や講堂や教室、催事場などです。
  • もともとプライバシーの配慮はなされていません。
  • トイレの数も限られる可能性があります。
  • 風呂はありません。

1.4.3  食

  • 人数が多いと家庭の料理は出せません。
  • 弁当、おにぎり、ペットボトルのお茶などが毎食になります。

1.4.4  衣

  • 着の身、着のままで避難して来た人々です。下着類は余裕がないでしょう。
  • 避難所が市街地にあれば買えるでしょうが、人によっては手持ちの現金が少なく、預金通帳やカードなどを持参してないかもしれません。
  • 避難所では、洗濯をして干せるのか否かも問題になります。

1.4  仮設住宅

神戸市の震災で仮設住宅に入る人々と、東電福島第一原発の事故で避難してきた人々とは、当然ですが同じではありません。本来ならその違いを考慮した仮設住宅の建設と運営をすべきです。

農山村や漁村の高齢者は地域の親戚や友だちと交流し、田畑や里山や漁港などで自分なりの働きをしています。その働きは生活費を得るためではなく、心身の健康を保つのに役立っているのです。

1.4.1  仮設住宅の建設

  • 仮設住宅の建設が始まります。当然規格品の住宅です。避難者の苦しみを考えれば、急いで建設しなければなりません。
  • 仮設住宅の用地を探すのは簡単ではありません。物の購入や交通の便のよい空き地が望ましいのは当然です。しかし、交通の不便な場所しかない場合もあり得ます。
  • 狭くとも畑や庭のある仮設住宅であってほしいものです。

1.4.2  仮設住宅の運用

  • 知人同士のつながりを保つために、集落単位に仮設住宅に入ってもらうべきでしょう。
  • 仮設住宅に入っている全員の状態を把握するまとめ役が必要です。自治体の職員がついていて記録をとるべきです。

1.5  住み慣れた地を離れて暮らす困難

  • これまで生活して来た地域社会や職場や自然などとのつながりを絶たれ、気候も異なり、地理も不案内な土地に長い間生活しなければなりません。
  • 元の土地にいつ帰れるかもはっきりしません。その後の原発の状態によっては、健康なうちには帰れないかもしれません。

2.  人が住めなくなった地域の回復とは

2.1  人の住めない地域の状態を考える

2.1.1  住めなくなった原因による

その地に人が住めなくなるにはそれぞれ原因があります。様々な原因があり得ますが、福島県の場合は地震と津波による以上に、原子炉の溶融に伴う水素爆発が原因です。爆発に伴う放射性物質の飛散が最大の原因です。

図3により説明します。

2.1.2  地域社会と家庭の破壊

原発の周辺地域では、地域社会が破壊されました。

  • 住民が個別に避難するなどして地域社会のつながりは壊れました(12)。
  • 地域社会の要素となる老夫婦の家庭も、避難により地域から離れました(13)。
  • 地域社会の要素となる両親とこどもの家庭も同様です。子どもへの影響を考えて、祖父母と息子夫婦、夫と妻子などが別々の地で暮らす家庭もあります(14)。
  • 各家庭は住み慣れた家を離れて慣れない土地で不便な生活を続けざるを得ません(5)。

図3.  人が住める環境

2.1.3  住環境の破壊

  • 家屋は物理的には壊れていなくても、放射能の影響で住み続けるのは困難です。新たに家を建築しなければなりません。将来のある若い人はともかく、先の短い老人は新築する気にはなれません。これまでのローンの残りと、新築の家のローンと二重にローンを支払わねばならない人もいます。
  • 事業所の建屋も同様です。

2.1.4  人の活動の場の崩壊壊

  • 学校は生徒も先生もいません。
  • 事業所には働く人はいません。
  • 田畑には農家の人がいません
  • 海には漁をする人がいません。市場のせり売りもなく、魚介類の加工工場も無人です。
  • これらの場所のすべては放射性物質で汚染されています。

2.1.5  商業施設の破壊

各種の商店、理髪店、食堂、ガソリンスタンドなどは閉鎖です。

2.1.6  基本的生活サービスの崩壊

  • 市役所や役場は機能していません。
  • 警察も人はいません。
  • 医療機関も無人です。
  • 郵便局も銀行も機能していません。

2.1.7  電気・水道・ガス・交通機関

  • 電力の供給は絶たれています。
  • 水道についてはまず汚染が心配です。
  • プロパン、都市ガス共に安全性が問題になります。
  • 被災地では、バスの便、電車の便は停止して利用できません。

2.1.8  道路の汚染

  • 大小さまざまな道路も汚染されています。
  • 地域への立ち入り禁止のため道路は通行できません。

2.1.9  宅地の汚染

宅地、庭、庭木、自宅周辺の畑、垣根などが汚染されています。

2.1.10  自然環境の破壊

  • 自然も破壊されています。
    • 放置された家畜の死骸があります。
    • 汚染された山野・里山・森や林のままです。
    • 汚染された川や池のままです。
    • 汚染された野生動物や鳥が繁殖しているかもしれません。

2.2  地域の再生

復旧は3のすべてをもとの状態に復することです。政府・自治体は復旧ではなく今までより進歩した形にしたいでしょうが、できるでしょうか。

  • 民間企業は利益が見込めなければ業務を稼働させません。個人経営の食堂、理髪店、薬や、新聞店なども同様です。
  • 働く場がなければ勤め人の家族は地元に戻ってきません。
  • 老人や幼児をもつ家庭は医療機関が必要です。
  • 子どものいる家族は学校が再開されない限り戻ってきません。
  • 他の条件が揃っても販路がなければ漁業は再開できません。農業も同様です。

3.  郡山市における汚染土壌の撤去

郡山市は福島第一原発から80kmほど離れています。3のすべてが稼働しています。対処すべき主要な処置は、風で運ばれた放射性物質の除去です。

3.1  除染された表土類の宅地での埋設

  • 郡山市では住宅や事務所の除染作業を平成26年から27年にかけて行いました。
  • 植木などの植栽の伐採、コンクリート製の車庫や階段、庭の表土の剥ぎ取り、屋根の洗浄、側溝の洗浄などです。
  • 剥ぎ取った庭の表土などを埋めるため、写真1のように1メートル以上の深い穴を掘り、その底には漏れ防止のシートを設置し、その穴に汚染物を埋めて山砂でかぶせて保管します。
  • 全面コンクリートの場所では穴を掘れません。リング状のコンクリート製物体を積み重ねて作った容器に汚染物を袋を収容しています。

写真1 除染で出た表土などを埋めていた庭の穴

3.2  中間貯蔵施設の建設

3.2.1  中間貯蔵施設を福島県が受け入れた経緯

  • 当初、福島県は政府に対し県内に中間貯蔵施設は設けないという姿勢を示していました。国は最終貯蔵施設を福島県内には設けないう方針を示していたものの、最終貯蔵施設の決定が難航するのは明らかであり、中間貯蔵施設が長期間使われ続けられることは明白だったからです。場合によっては、中間貯蔵施設が最終貯蔵施設になる可能性すらあります。
  • しかし、中間貯蔵施設の決定が遅れると、除染で出た汚染物質が県内の各所に長期間仮置きされる可能性もあるため、双葉町などの協力で中間貯蔵施設を県内に設けることを認めることになりました。
  • 場所は原発周辺に広がる双葉町と大熊町の土地です。

3.2.2  中間貯蔵施設の建設

  • 中間貯蔵施設の候補地のそれぞれについて地権者の合意を得なければなりません。土地の所有者を探しだして契約書を交わすのには時間がかかります。
  • 契約の済んだまとまった土地から中間貯蔵施設の建設が進んでいます。既に一部は稼働をはじめています。

3.3  郡山市の「積み込み地」の建設

  • 除染で出た汚染表土などは宅地に埋設されて保管されています。郡山市では2018年度から現場保管の汚染度などを集約するため、「積込み場」の建設を進めてきました。
  • 市内2か所のクリーンセンターのほか、大形の私有地が「積込み場」として整備されました。

3.4  積み込み地への除染廃棄物の移送

  • 小規模仮置き場や住宅地などの現場に保管した汚染された者や表土は、市が建設した「積込み場」に業者が運び入れます(4)。
  • 積込み場からは国の責任で中間貯蔵施設まで輸送します。一般道や高速道路が使われます。

図4 積込み場への集積と知友間貯蔵施設への輸送

4.  原発周辺市町村の状況

4.1  原発近辺の市町村

  • 福島第一原発は「双葉町」と「大隈町 おおくままち」にまたがって立地しています。この2つの町は全町民が今も避難しています。
  • 大熊町の南に「富岡町」があります。町民の殆どが避難しています。今年になって復帰ができるようになりましたが、帰還者は僅かです。。
  • 富岡町の南に「楢葉町 ならはまち」があります。住民の多くがまだ帰還していません。
  • 双葉町の北には「浪江町 なみえまち」があります。町域が北西に広がっている町です。富岡町と同様、ほとんどの町民が避難しています。
  • 浪江町の北は「南相馬市」の南部地域です。
  • 浪江町の北西方向には、「葛尾村 かつらおむら」、「飯館村 いいだてむら」があります。放射性物質を含んだ北西の風で汚染された村です。
  • 図5に簡略化したこれらの市町村の位置を示します。

図5.  原発周辺市町村

4.2  帰還した人々の数

表1はこれらの市町村の最近の居住者の数と避難者の数、7年前の事故発生時の人口も示しています。

表1. 原発周辺市町村の居住者と避難者の数

震災時の人口 居住者 避難者
南相馬市

71,561

46,900

6,600

浪江町

21,434

490

20,648
双葉町

7,146

帰還不可

6,918

大熊町

11,505

帰還不可 10,517
富岡町

15,960

429

13,224
楢葉町

8,011

2,270

4,870

葛尾村

1,567

256

1,168

飯館村

6,509

607

5,256

  • 南相馬市は他の場所に移住したと思われる人が20,000人ちかくいます。
  • 表1の町村では帰還者は僅かです。今後避難者のうちどれだけが帰還し、どれだけが他の地域に移住するか不明です。

4.3  地域社会の再建

4.3.1  長期的な視点で

政府も自治体も早期に復興させたいでしょう。関係者はその覚悟で取り組んでいると思いますし、地元の人々も期待しています。でも可能でしょうか。また、無理に急いで負の面が出てはなりません。

図6を見てください。市町村は長い年月にわたり良かれと思う政策を実施して発展して来たはずです。黒の右肩上がりの線がそのことを表しています。また、赤い線は原発事故ですべてを失ったことを示しています。それに続く緑の破線は短期間での復興を予想したものです。

図6.短期間の復旧は無理か

4.3.2  原理原則

  • ハードウェア、あるいは箱物については、資金があれば復興の可能性は高いでしょう。具体的には、4の「1」で示した自然環境から、「6」で示した役場・郵便・銀行・警察・医療機関などの生活環境の整備は、問題はあるものの不可能ではありません。ただし、郵便局、銀行、医療機関については所得の保証をする必要があるでしょう。
  • 「7」の商業施設の整備は、短期間での復旧は困難です。お客さんが少ないと商売は成り立たないからです。
  • 「8」の農地、「9」の事業所、「10」の港湾施設の整備などは、すべて地域の働き手が収入を得るための場の整備です。これらの復旧も簡単ではありません。米を収穫しても販売できなければ投資を回収できません。漁業も同様です。工場なども、どの程度の規模で生産を始めるかは難しい問題です。

4.4  復興庁の指導力

4.4.1  歴代復興大臣

  • 第2次安倍内閣では、福島県選出の「根本匠」議員が2012年12月末から1年半強の間、復興大臣をつとめました。
  • 次の復興大臣として、「竹下亘」議員が約1年間をつとめました。
  • 「今村雅弘」大臣の後任として福島県選出の「吉野正芳」議員が復興大臣をつとめています。
  • 復興大臣には以下のように言動に問題のある人が就任していて、復興を願う福島県民は看過できない人事です。
    • 民主党政権時代、復興を企画し調整する国務大臣に就任した「松本龍氏」は、宮城県庁を訪れた際に知事が出迎えなかったことに腹を立て、乱暴なもの言いをしたことで辞任しました。
    • 民主党政権時代の「平野達夫復興大臣」は、「津波に逃げなかった馬鹿な奴らが被災地にはいる」との発言が問題になりました。
    • 安倍内閣の「高木毅復興大臣」は下着泥棒の常習犯とのスキャンダル報道で辞任に追い込まれました。
    • 「務台俊介復興政務官」は視察中に職員におんぶされて水たまりを渡って呆れられました。本来なら靴やズボンが濡れるのも気にせずに視察を続ける逞しさを示すべきでした。
    • 安倍内閣の「今村復興大臣」は、「震災が東北でよかった」との発言や、「自主避難者が帰還するかどうかは「自己責任だ」」などの発言で辞任しています。被災者に寄り添う態度ではないからです。

4.4.2  歴代復興大臣の指導力

  • 復興庁の職員は様々な省庁からの出向者で占められているようです。そうだとすると、復興庁として一丸となって難問に取り組むのは期待できないように思います。
  • 復興庁トップは、企画力、指導力、実行力に富み、復興庁に出向して来た職員を庁の職員として競わせ、動かす能力が必要です。
  • 復興を成し遂げることを天命として、それだけに邁進するような信念と行動力をもつ人を大臣に据えて欲しいものです。

5.  まとめ

  • 7年前の2011年3月11日午後2時40分頃、大学の研究室で東北地方大震災を引き起こした地震を体験しました。研究室は8階建ての建物の5階ですが、キャビネットは倒れ、本が床に散乱し、数台のコンピュータ端末機は棚から落下しました。
  • 大きな揺れは2回あったように記憶しています。この大学に移って35年になりますが、こんなに大きな地震ははじめてです。
  • 帰途、大谷石の塀はどの家のものも崩れており、橋と道路部分とには段差ができていました。自宅の書斎では多くの本が棚から落ちて散乱し、台所や居間の戸棚は倒れ、食器の多くは破損して足の踏み場もありません。
  • しかし、70kmも離れた浜通り地方にある東電福島第一原発で炉心が溶融し、水素爆発が起こって地元民が緊急避難をせざるを得なくなるとは想像すらできないことでした。電源の喪失により原子炉の冷却が出来なくなったことで、菅首相の狂気じみた行動が始まります。自ら第一原発にヘリコプターで視察します。首相だけを責めることはできません。菅首相を納得させられるような原子力関係者がいなかったからでしょう。多くの人が現場や現物を知らない頭でっかちだったからです。
  • 水素爆発が起きたので、放射能に無防備な自衛隊も警察も逃げたようですが、当然のことです。
  • 病院の入院患者や老人介護施設の入居者の苦しみが始まります。原発の周辺20km以内の町村の住民はすべて避難しなければならないからです。

本稿の前半では、水素爆発をおこした原発の概要、緊急避難時の移動の大変さや避難所での生活の大変さ、仮設住宅での生活の問題などについて紹介しました。後半では、原子炉の爆発で失ったものを分析し、失ったものを再構築することの難しさを解説しました。

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