バレエ・リュッス仲間シャネル、コクトー、ピカソ、ストラヴィンスキー・・・

バレエ

シャネル、コクトー、ピカソ、ストラヴィンスキー・・・みんなバレエ・リュッス仲間です。

バレエ・リュッスの何がすごかったのか、というと「関わった人達があまりに豪華」の一言につきるのではないでしょうか。

ディアギレフは初期にはロシア人芸術家を主に重用していましたが、次第にパリで活躍する新進芸術家にも目を向けます。

バレエ・リュッス仲間みんなシャネル、コクトー、ピカソ、ストラヴィンスキー・・・

芸術愛好家ディアギレフの慧眼によって実現した、バレエと超一流芸術家達とのコラボレーションは21世紀の現在でも普遍の輝きを放っています。

まず音楽の分野でバレエ・リュッスに関わった面々を挙げますと、リムスキー・コルサコフが挙げられます、実は彼はディアギレフの音楽の先生だったのです。

ディアギレフ、実に恵まれた音楽環境に育ったのです。

その彼のお眼鏡にかなうのですからビッグネーム揃いになるのは当然、ドビュッシーは「牧神の午後」をストラヴィンスキーは「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」のストラヴィンスキー三大バレエをバレエ・リュッスに作曲しました。

どの作品も発表時に大変な話題となっています。

その他にはサティ、ファリャ、ミヨーなどがバレエ・リュッスの曲を手がけています。

舞台美術の世界も負けてはいません。ブノワ、バクスト、ゴロヴィン、ゴンチャロワなどのロシア人芸術家の他に、「パラード」の背景画がいまでも傑作として残るピカソ、バレエとモードの最初のコラボレーションであるシャネル、ルオーなどが手がけています。

シャネルはバレエ・リュッスのパトロネージュとしても有名です。

そして文芸の分野からはなんと言ってもコクトーでしょう。

このように綺羅星のごとき芸術家がバレエ・リュッスと関わったことが、バレエ・リュッスが解散した後にもバレエが芸術の一分野としての地位を維持していることにつながっているのです。

バレエをもっと知ろう!超特急で語るバレエの歴史~ロマンから古典まで~

歴史を知ればどんなものでもずっとおもしろくなるもの。

ここではバレエの歴史について超特急で語っていきます。

バレエ発生の歴史は、ルネッサンス期のイタリアでの貴族による宮廷舞踊にさかのぼります。

それがメディチ家のお姫様カトリーヌ・ド・メディシスとフランス王アンリ2世の結婚によってフランスにもたらされます。

そして17世紀フランスでは太陽王ルイ14世の庇護のもとに王立舞踊アカデミーが設立され、発展していきます。

18世紀半ばには芸術としてロマン主義が台頭しますが、バレエもこのロマン主義の潮流にがっちり乗ります。

マリー・タリオーニら女性舞踊手による、エキソシチズムや異次元の世界への憧憬に溢れた「ロマンティック・バレエ」は世を熱狂させます。

現在でも残る当時の代表作として「ジゼル」があります。

この後バレエは急速に衰退し、パリにおいてはバレエ=大衆芸能と化していきます。

大きな理由としては「飽きられた」からですが、時代背景として普仏戦争の勃発や芸術では自然主義が台頭してきたことが挙げられます。

しかしヨーロッパ芸術文化の中心地であるパリでは衰退したものの、ヨーロッパの辺境、ロシアの地でバレエは皇帝の庇護の許に新たな花をさかせることとなるのです。

19世紀初頭にディドロが、そして19世紀半ばにはマリウス・プティパがペテルブルグへと向かいます。

この、マリウス・プティパはペテルブルクで「眠りの森の美女」「白鳥の湖」「ライモンダ」「ドン・キホーテ」などおよそ50作品を振り付けましたが、これらがすなわち「クラシック(古典)バレエ」と呼ばれ現在でもバレエの主要レパートリーとなっているものなのです。

芸術では普通「古典→ロマン」の時系列なのですが、バレエの場合は「ロマン→古典」の流れなのが特徴的であります。

知れば「文化人偏差値」爆上がり!バレエリュッスって何?

「バレエ・リュッス」と聞いてピン!とくるあなた。なかなか文化通ですね。

バレエに限らず「バレエ・リュッス」は20世紀芸術の一大テーマです。

なのでバレエ・リュッスについてちょっとした知識を披露すれば、周りの人のあなたを見る目を変わるかもしれませんよ。

バレエ・リュッス、正式名称は「セルゲイ・ディアギレフのロシアバレエ団」といいまして、活動期間は1909年から1929年となっております。

ゼルゲイ・ディアギレフとは元々はロシアの芸術愛好家ですが、バレエ・リュッスの活動で稀代の興行師となります。

そして1929年とは彼の没年です。

1909年にディアギレフがパリのシャトレ座でロシアのオペラとバレエの公演を行い、パリの人々に大きな衝撃を与えます。

特に西欧で衰退していたバレエの魅力に圧倒されます。

ロシアのバレエダンサーの高度な水準はもちろんですが、バレエ・リュッスの舞台のエキゾシチズムとエロティシズムに熱狂したのです。

当時の代表的な作品は「シェラザード」です。

オリエンタルな世界のハーレムを舞台にした、女主人と奴隷の恋物語は、踊り以上に斬新な舞台装置と衣装でパリを席巻し、ファッションのトレンドまでがらりと変えてしまうほどでした。

代表的なダンサーとして初期にはヴァスラフ・ニジンスキーやアンナ・パブロワ、タマラ・カルサヴィーナ、中・後期にはレオニード・マシーンやセルジュ・リファールがいます。

特に男性舞踊手ヴァスラフ・ニジンスキーの踊りがパリの人々に与えた衝撃は大変なものでした。

この、バレエ・リュッスの活動がバレエ再生の契機となっていくのです。

1929年のディアギレフの死後も、バレエ・リュッスの遺産は世界中に引き継がれて今日のバレエ界の礎となっています。

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