人生を左右する致命的な欠点に注意しよう
- 人には様々な欠点があります。政治家として、裁判官・検察官・弁護士として、警察庁やと都道府県警察の人として、外交官として、研究者として、機器・システムの開発者として、俳優としてなど、様々な分野で活躍している人々も、人であるが故の弱点(欠点)をもっています。しかし、少なくとも一本の道において、凡人ではできない奮闘をして自分の地位を築いたのです。この点においては尊敬に値します。
- 人生の方向づけをする大切な青少年期に、本質的な欠点を克服できず、順調に歩けたはずの道を踏み外すことは残念なことです。自業自得と言ってしまえばそれ迄ですが、個人的な損失を気の毒に思うとともに、それに伴う国家も損失を考えないわけにはいきません。
本稿では人の成長を阻む基本的な欠点を解説します。
1. 知識を軽視する
1.1 軽視するわけ
- 人は知識を大切にすべき唯一の動物なのですが、軽視する人が多くいることが残念でなりません。
- 相応の広がりと深さの知識を得るために必要な努力は、半端な量ではありません。身につけるには様々な種類の能力を動員し、努力を積み重ねなければならず、簡単な活動ではありません。
- しかも知識はすぐに役立つとは限らないので、物の見方が皮相的で単純な人は、知識は役立たないとして軽視したくなるかもしれません。
- 知識の軽視は、知識を得るための困難の多い努力は自分にはできないことの形を変えた表現とも言えるかもしれません。しかし貧弱な知識では、他者との微妙な内容を含んだ意思疎通などはできません。そのことを本人は納得しているのでしょうか。
1.2 知識は大切
- 知識を偏重する社会は問題ですが、知識を軽視する社会も問題です。その損失は個人だけではありません。軽視する人の数が膨大なため、国家や社会の存続が危機に瀕し、国家の発展が期待できなくなります。
- 知識の大切さは日常生活にも現れます。なぜなら、人間はその人が抑制できる範囲で「動物的な本能」を隠しつつ、知識、知恵、人生観・性格・生き方などをもとにして、社会生活や家庭生活を営むからです。図1はこの関係を示すものです。
- その人の能力に応じ、知識が獲得され、知恵が湧き、人生観などが育まれ、それらに応じた社会生活、家庭生活が営まれます。
- その人の知識、知恵、生き方や性格などに応じて行動します。
- 赤の矢線は、知識が知恵や人生観などに影響することを示しています。
- 図に示していませんが、知識はある程度の実務体験、適用経験がないと活性化されません。知識の実践的な使用は必要です。
1.3 知識を軽視する人の人生
- 知識や考え方に大きな差がある場合、交渉ごとは以下のような残念な結果になります。
- 議論や交渉は決裂します。言い分に論理の飛躍や脱落があるほか、相手の言い分への誤解や理解不足が多発し、怒りに満ちた決裂に終わります。
- 交渉ごとは簡単なものに限るべきです。
- 知識を軽視かる人の人生は次のようになる可能性があります。
- つきたい職業の門は極端に狭くなります。受験資格を満たさない場合のほか、試験に合格する確率が低いからです。
- 知識の量や思考の深さが要求される仕事ほど成果は乏しくなります。
- 人生のなかで関係する人たちの多くは本人に似た人たちでしょう。
- ある程度以上の知識が必要な仕事に就く機会はあまり巡って来ないでしょう。その人の前を黙って通り過ぎてしまいます。
1.4 知識を重んじない人への忠告
- 技能や技芸の世界には学校を出てなくとも立派な仕事をしている方々がいるかもしれません。探せばもっと様々な分野で、学問上の知識がなくとも立派に生活し、素晴らしい業績を挙げている人たちがいるでしょう。だから知識を軽んじてよぃという論は成り立ちません。ある地方が快晴であっても、日本全国が快晴とは限らないのと同じ理由です。
- 今は知識を軽視しているのは仕方ないとしましょう。しかし、知識の大切さが分かったその時から、真剣に勉強をはじめて下さい。
2. 真剣になれない
真剣にならなくても簡単なことならできます。難局に直面しても真剣になれない人(国や国民)がいます。何かに阻まれて本気になれないのです。
真剣になっている姿を人に見せたくないのでしょうか。もしそうなら、甘ったれの格好つけ人間と言われても仕方がありません。
2.1 真剣になれない人の人生
- 真剣になっていないのですから、真の姿や真の状況は見えないでしょう。見えなければ適切な手を、適切な時期に打つことはできません。
- 難しい仕事は失敗する可能性が高いでしょう。難しい仕事ほど、処理方法や手順について練りに練って、慎重に進めなければなりません。しかし、本気になっていない人には無理なことです。
- 真剣でないと危険が迫っても分かりません。妻が、子どもが、危機的状況に陥っていても気づき方が鈍いので、救うことが困難になるのです。
- 自分が今、何を、どの程度の水準でなすべきか、その判断をするのが困難です。
- 他人の信頼を得ることは稀でしょう。むしろ、軽蔑されたり、侮られたりすることになります。他人につけ込まれて大切な事物を失うことにもなるでしょう。
2.2 本気になれない人への忠告
- 格好よいところを見せようとして本気になれないのなら、それは大きな間違いです。人生には格好をつけている余裕はないのです。
- 地面を這いつくばって動き回らねばなりません。人生の正道は、やるべきことをやる抜くことです。
- 真実を把握する力が足りないことが分かったら、他人の忠告を素直に聞くことです。
3. 明確な目的がない
全ての行動に目的があるべきですが、目的意識のない人や企業や国があります。
3.1 目的意識の薄弱な人の人生
- 目的が何かを明確にしないまま行動するのですから、目的を明確にしてその達成のための方法についても十分検討して行動を起こす場合に比べて、成果は貧弱でしょうし、時間もかかるのは当然です。
- 複雑な仕事は幾つかのより小さい仕事に分解できます。本来なら図2のように、分割されたそれぞれの仕事に対して目的が設定されるべきです。
- 図では、全体の仕事が幾つかの小さな仕事に分割されて進められます。処理1、処理21から処理23、処理31から処理33のようにここに作られねばなりません。全体の目的のだけでなく、分割されたそれぞれの処理についても目的があるべきです。
- 目的を達成するために全力投球すべきなのですが、目的意識が弱いのですから、達成への意識も覚悟も弱くなります。
3.2 目的意識が薄弱な人への忠告
- 人生は真剣勝負の連続であることに気づいてください。例えば遅刻しそうになったら、格好など気にせずに走らねばならないのです。
- 例えば、親は死に物狂いで子供を産み育てるのです。両親は息子や娘を大学に行かせるため、好きなものを摂ることをやめ、したいことを控えるなどして戦っているのです。
4. 生きる目的を意識しない
- 人類に役立つ偉大な発明や発見をする、大統領や首相になる、大会社の社長になる、資産家になる、素晴らしい曲を作曲する、人々を魅了する絵を描くことなどは、物質的な社会における成功の事例です。そのためには「知識」が重要な働きをします。しかし、これらの偉業を成し遂げたとしても、それに満足して死を迎えることはできないようです。まだ何かがあるようなのです。
- 親鸞は著書「教行信証」のなかで、阿弥陀仏に自分のすべてを託して生きる幸せについて述べています。しかし、凡人はなかなかそのようになり切れないようにも思います。生きることの目的も必要なようです。
4.1 生きる目的をもてるか
阿弥陀如来の救いに身を委ねる心境に近づきつつ、物質の恵みに感謝しつつも、物質に頼らないやり方で人生を豊かにする生き方をしたいものです。
4.2 私の場合
- 私の生きる目的は、「ただ単に事物について知ること、知識を通して人として向上すること」です。他者との比較ではなく、自分自身のみに限った向上を志しています。
- 知る対象は何でもよいのです。今まで知らなかったことを知ることができれば満足です。知ってどうするかは全く白紙です。役に立ってもよく、立たなくてもよいのです。
- 全ての人、すべての事物が師匠です。人も、犬も、草も木も、なんでも師匠です。赤ちゃんも、幼児も、自分と同じく好奇心に満ちた仲間であり、何かを教えてくれる師でもあります。
- 判断の基準は、知ることを通してどれだけ自分が向上できるかです。
5. お金に執着する
お金をもてばもつほどさらに増やそうとする人たちが社会を支配しているようです。世界の帝王となり、古代エジプトの王のように永遠の命を手に入れるつもりなのでしょうか。仏教ではそのような生き方をしません。
5.1 お金を執着する人の人生
- もてばもつほど、もっともちたいと思います。欲望には限界がないからです。
- お金持ちになると、他人(ひと)の価値を資産の多寡で判断するようになります。
- 横柄にもなります。多くの人がお金を見せられると集まって来るし、卑屈にひざまずくからです。
- お金のために、人間性も、正義も、友情までも犠牲にしかねません。
- お金をもてばもつほど、失うことの恐れで不安が増します。
- 高級車に乗り、豪勢な邸宅に住み、贅沢な食事を摂り、衣服や時計などに高級品を身に着けます。このこと自体は問題ではありません。他人を外見で判断するようになることが問題なのです。
5.2 お金礼賛者への忠告
お金や資産に恵まれているのは本人の努力の賜物でしょう。一面、お金をもつ人生の巡りあわせが与えられたのかもしれません。そのお金をどのように生かすかを試されているとも考えられます。
6. 不幸を他者の所為にする
自分に与えられた向上の機会をむざむざ逃してしまう残念な人がここにいます。
6.1 失敗や不幸を他者のせいにする人の人生
- 不幸は自分が蒔いた種かもしれません。この場合は、不幸をつくった自分の行為を反省し、自分を改造しなければならないのです。それによって自分が向上できるのですが、ひとの製にしては向上しません。
- 不幸は天が与えた試練、あるいは機会かもしれません。その不幸から逃げずに正面から受け止め、解決することで向上できるからです。
6.2 失敗や不幸を他者のせいにする人への忠告
- 失敗の原因が自分以外にあると言えば、多少の同情は得られるかもしれませんが、それだけのことで、事態はたいして改善しません。正しくは、原因は自分にあったとして、失敗につながる自己の欠点を徹底的に分析し、それらの修正に努めるべきです。本来なら、事前に自己改造をして失敗しないようにすべきだったのです。
- 経済的に余裕がなくて塾などへ通えなかった、家の手伝いで勉強する時間がなかった、家の環境が勉強には適してなかったなど、勉強に適さない家庭環境をあげることはできます。しかし君はそのような環境で勉強することを運命づけられていると思って頑張ればよいのです。
7. むすび
- 本稿では実り多い人生を歩むために必要な基本的な事がらを軽んじる人として、下記のような人たちをあげ、予想される人生の姿を寸描してみました。
- 知識を軽視する
- 真剣になれない
- 明確な目的をもてない
- 生きる目的を意識しない
- お金に執着する
- 不幸を他者の所為にする
- 上述した事がらは人生に害を与える主要なものです。他に種々あるでしょうが、筆者が日常的に思ってることを列挙すれば以下のようです。
- 純粋な学びの源泉は無垢な好奇心です。なお無垢な好奇心は金銭などの損得に無関係です。
- 皮相的な知識があっても活躍の場がありません。深掘りした知識だけが活動できるのです。深掘りする行為を面倒だと敬遠してはならないのです。
- 人であれ、知識であれ、排除した時点でおしまいです。力があるなら、排除せずにどこかに蓄えておくことです。
- 依存心は成長しようとする芽を枯らします。成長したいなら自立して歩まねばなりません。
- 重要な事物なら、丹念に、そして何回でも、観察しなければなりません。
- ひとつの視点からだけでなく、多くの異なる視点から観察や考察をすることです。
- 表があれば裏もあります。そして、表も裏もさらに裏があるかもしれません。野党と共に、文書問題などで安倍政権の批判の先頭に立つ某新聞は、真実の報道という新聞人の主張の裏に、様々な思いが絡んでいると思わねばなりません。
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